春は京都で3,200m、秋は東京で2,000mをそれぞれ舞台に争われる天皇賞。
日本競馬伝統のG1レースであり、これまで数多くの名勝負が演じられてきました。
今回は東京競馬場で行われる天皇賞(秋)で名勝負を制した、歴代の名馬たちについてご紹介します。
2022年天皇賞(秋)の馬券検討に役立つヒントも散りばめられているエピソードと共にお伝えしましょう。
1:天皇賞(秋)の歴代勝ち馬
それでは早速、歴代の天皇賞(秋)優勝馬の中から次の4頭をご紹介します。
それぞれの名馬にまつわる伝説をお楽しみください!!
歴代勝ち馬①:ヤマニンゼファー
1993年の優勝馬です。
当時は単勝オッズ11.7倍で5番人気という、意外な低評価だった馬でした。
その理由はいくつかありますが、当時の競馬界におけるひとつの常識も人気薄の理由でした。
ヤマニンゼファーはこの時点で既にG1を2勝していました。
1992年と1993年の安田記念を連覇していたのです。
しかし安田記念が行われるマイル戦、つまり1,600m戦は短距離戦というのが当時の競馬ファンだけではなく、関係者の間でも常識だったのです。
400mの距離延長を疑問視する声があったことが、低評価だった大きな原因でした。
更にヤマニンゼファーの場合は、1,800m戦で争われた前走の毎日王冠で6着に敗れていたことも、評価を下げる一因となっていたのです。
安田記念のマイル戦より200m長い1,800m戦で着外だった馬が、400m長い2,000m戦で勝ち負けになる筈がない。
こうした声をヤマニンゼファーは見事に覆します。
レースは、東京競馬場の長い直線でセキテイリュウオーと馬体を並べ、壮絶な叩き合いに持ち込んだヤマニンゼファーは、全く怯むことなく、並んだまま、ゴール板を通過したのです。
スピードも、そしてスタミナも、極限までのレベルを求められる戦いでした。
写真判定の結果、軍配はハナ差でヤマニンゼファーに上がりました。
距離不安説を覆した瞬間でした。
そもそも、1,600m戦、マイル戦は、出走馬が息を入れるタイミングから、スピードだけではなく、スタミナも求められる舞台だったのです。
ヤマニンゼファーの天皇賞(秋)優勝で、多くの競馬関係者も、ファンも、マイル戦に対する認識を改めることになりました。
今日では、春に安田記念を走っていた馬が天皇賞(秋)に出走する際、距離不安という評価をされることはありません。
そのきっかけを作ったのは、ヤマニンゼファーだと言っても過言ではないでしょう。
歴代勝ち馬②:バブルガムフェロー
1996年の優勝馬バブルガムフェローも、競馬界の常識を塗り替えた馬でした。
当時、バブルガムフェローは3歳(当時の年齢表記では4歳)でした。
この頃の日本競馬界は、3歳の牡馬なら春は皐月賞と日本ダービーを、そして秋は菊花賞を目指す、というのが当たり前だったのです。
菊花賞の3,000mという距離への適性云々を語るより、適性に欠けるならどうやって距離を克服するのか?がテーマでした。
馬券を買う競馬ファンも距離を克服できるのか?という視点で3歳馬を評価していたのです。
しかし、バブルガムフェローの勝利以降、春に活躍した3歳馬たちが秋は菊花賞ではなく、天皇賞(秋)を目標とするケースが増えました。
2022年の天皇賞(秋)も馬券検討上、無視することはできない3歳馬が出走しています。
こうした3歳馬陣営の選択も、バブルガムフェローの勝利が大きなきっかけでした。
歴代勝ち馬③:エアグルーヴ
バブルガムフェローは翌1997年にも天皇賞(秋)に駒を進めます。
しかしバブルガムフェローはハナ差で2着に敗れました。
勝利したのは、バブルガムフェローと同じ1993年産まれの牝馬エアグルーヴでした。
牝馬が天皇賞(秋)を勝利したのは、1980年のプリティキャスト以来でした。
天皇賞(秋)が2,000mになってからは初めてとなります。
秋シーズンは天皇賞(秋)ではなく、エリザベス女王杯かマイルチャンピオンシップを目指す、というのが、当時のオープンクラスに在籍する牝馬を管理する陣営の常識でした。
牡馬相手の天皇賞(秋)は厳しい条件での戦いとなると思われ、敬遠するケースも珍しくなかったのです。
しかしエアグルーヴの勝利で、その常識・認識は変わりました。
今日では、牝馬が天皇賞(秋)に参戦するのは全く珍しいものではなくなりました。
2005年にはヘヴンリーロマンスが、2008年にはウオッカが、2010年にはブエナビスタが、そして2019年と2020年にはアーモンドアイが、それぞれ牝馬として天皇賞(秋)を優勝しています。
歴代勝ち馬④:カンパニー
8歳の競走馬、というと、多くの競馬ファンは「ピークを過ぎた高齢馬」と思うに違いありません。
しかし、2009年の優勝馬カンパニーはこの時、既に8歳でした。
そしてこの勝利が初めてのG1勝利でした。
カンパニーは8歳でG1馬の仲間入りを果たした、遅咲きのスターホースだったのです。
この時、カンパニーは単勝オッズ11.5倍で5番人気でした。
皆、8歳という年齢が気になり、評価を下げてしまったのです。
しかし、カンパニー自身は年齢を全く感じさせない若々しい馬でした。
レース後、鞍上の横山典弘騎手は正面スタンド前でのウイニングランについて、馬のイレコミを懸念して取り止めています。
気性面も8歳とは思えない若さが溢れていたのです。
カンパニーは次走のマイルチャンピオンシップも勝利し、8歳にしてG1連勝を果たします。
このカンパニーという馬に、年齢面での不安、などというものは全く関係がなかったのでした。
2:天皇賞(秋)の歴代勝利騎手
歴代勝利騎手①:武豊
武豊騎手を「盾男」と表現する人がいます。
「盾」とは天皇賞優勝馬のオーナーに贈呈される「天皇盾」のことを意味します。
その天皇賞に強い騎手という意味で「盾男」と武豊騎手は呼ばれています。
しかし、この表現はどちらかと言えば、京都競馬場の芝3,200m戦で争われる天皇賞(春)に強い騎手という意味で使われ、天皇賞(秋)での活躍をイメージするものではありません。
しかし、武豊騎手は天皇賞(秋)でも、1989年スーパークリーク、1997年エアグルーヴ、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年ウオッカ、そして2017年キタサンブラックと、6勝を挙げている「秋の盾男」でもあるのです。
武豊騎手は秋も警戒が必要な騎手なのです。
歴代勝利騎手②:和田竜二
2000年にテイエムオペラオーの手綱を取り、勝利を挙げています。
この年のテイエムオペラオーは8戦8勝、そしてG1も5勝という完璧な成績を残しています。
しかし、2000年の天皇賞(秋)では、ある理由からテイエムオペラオーを不安視する声がありました。
実はこのレースまで、和田竜二騎手は東京競馬場で勝利したことがなかったのです。
しかも、東京・芝2,000m戦では不利とされる外枠(7枠13番)にテイエムオペラオーは入ってしまったのです。
この年の古馬では絶対的な存在だったテイエムオペラオーの単勝オッズは2.4倍で、1倍台の絶対的な人気ではなかったのはそんな理由があったからなのでした。
しかし、和田竜二騎手とテイエムオペラオーはこうしたネガティブな材料を勝利で自ら払拭します。
レース後のインタビューでこれが東京競馬場での初勝利となることを、和田竜二騎手も自ら明かしていました。
全ての不安を乗り越えての勝利だったのです。
3:天皇賞(秋)歴代のレース傾向
天皇賞(秋)の歴代優勝馬や歴代優勝騎手を振り返ると、当時は常識だったことを覆したり、致命的なマイナス材料を払拭するきっかけとなる勝利やその勝利に繋がるドラマの存在に気づくことでしょう。
間もなく行われる2022年の天皇賞(秋)にもそんなドラマが存在するかもしれません。
どんなドラマになるのか期待しながら、発走時刻の10月30日(日)15時40分を待つことにしようではありませんか。