日本競馬史において、名馬と呼ばれた牡馬の多くは、この皐月賞というレースを経験しています。
皐月賞は、牡馬クラシック3冠戦線の第1関門に相当するレースなのです。
名馬への登竜門と呼ぶべき皐月賞ですが、まだ成長過程にある3歳馬による戦いである為、様々な名勝負やハプニングが展開されてきました。
そんな皐月賞の過去を振り返ります。
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1:【皐月賞】名勝負物語
牡馬クラシック第1関門に相当するレースですので、何年も語り継がれる名馬や、その名馬の手綱を取った騎手の物語も、皐月賞には多数あります。
まずは、そんな名馬・名手の物語を紹介しましょう。
1-1:あのクールな名手が見せた、意外なガッツポーズ~1995年優勝馬ジェニュイン~
日本競馬史に残る名手と言えば、様々な名前が挙がりますが、岡部幸雄元騎手もその一人で間違いありません。
「馬優先主義」を掲げ、海外では当たり前となっている馬と人間との関係を重視した、日本を代表するホースマンです。
その馬に対する姿勢から、レース後にガッツポーズなどの派手なパフォーマンスを見せないことでも知られ、その冷静な立ち振る舞いから、パドックに掲げられていた岡部幸雄元騎手を応援する幕には「Hot & Cool」という言葉がありました。
ところが、その岡部幸雄元騎手にも「Cool」なままではいられない、会心の勝利があったのです。
それがジェニュインで勝利した1995年の皐月賞でした。
逃げるマイネルブリッジが作る、1,000メートル通過61秒0という緩い流れの中、そのマイネルブリッジの直後2番手で流れに乗ったジェニュインは、最後の直線に入り、岡部幸雄元騎手の合図に応えて先頭に立つと、外から猛然と追い込むタヤスツヨシをクビ差で振り切り、先頭でゴール板を通過します。
そのゴールの直後、岡部幸雄元騎手は珍しくガッツポーズを見せ、喜びを全身で表現したのです。
自分でも満足できる騎乗だったのでしょう。
レース後の岡部幸雄元騎手は上機嫌で、最終レース後のファンイベントで日本騎手クラブ会長としてマイクの前に立った際も、「皐月賞は何という馬が勝ったのですか?」「誰が乗っていたのですか?」とジョークを連発します。
あのクールな岡部騎手が、あんなに嬉しそうにしているなんて…。
当日、中山競馬場に集まった多くのファンは、岡部幸雄元騎手の意外な一面を目撃することになるのでした。
1-2:全てはこの勝利から始まった~1999年優勝馬テイエムオペラオー~
テイエムオペラオーは、2000年と2001年の天皇賞(春)を連覇するなどG1で7勝をマークし、一時代を築いたサラブレッドです。
2000年には、G1とG2で8戦全勝という記録も残しました。
そのテイエムオペラオーが初めて勝ったG1レースが、1999年の皐月賞だったのです。
当時は、単勝オッズ11.1倍という低評価でした。
初勝利まで3戦を要し、トライアルレースではない毎日杯をステップに皐月賞に駒を進めていたために、あまり注目されていなかったのです。
レース直前に降り始めた激しい雨の中、道中は馬群の後方を進んでいたテイエムオペラオーは4コーナーでようやく中団まで浮上。
そして最後の直線で馬群の外を回り、前の馬をまとめて交わして勝利したのでした。
今思えば、あの末脚はテイエムオペラオーが生まれつき持っていた地力だったのでしょう。
後に勝利したレースは、この皐月賞のような大外直線一気という競馬ではありません。
しかし、そんな競馬もできるポテンシャルが古馬になってからの活躍に結びついたのです。
テイエムオペラオー伝説は、この皐月賞での勝利が第1章だったのです。
2:波乱となった皐月賞
まだレースキャリアの浅い3歳馬による戦いですから、その実力を発揮できない馬もいて、波乱の結末となる可能性は容易に想像できます。
しかし皐月賞の過去を振り返ると、波乱という言葉が果たして適切なのか?というレベルの出来事もありました。
そんな驚愕の皐月賞についても、取り上げましょう!!
2-1:レース後も議論となったハプニング~2000年優勝馬エアシャカール~
この年の皐月賞は波乱というよりも、事件といった方が正しいかもしれません。
事件のために、優勝したエアシャカールの存在が霞んでしまったのです。
その事件はスタート直後に発生しました。
最内枠、1枠1番に入った馬が、ゲートが開いても中で暴れたまま、発走できずにいたのです。
競馬場内の大型ビジョン「ターフビジョン」にその姿が一瞬映し出された時、中山競馬場内から悲鳴、そしてため息が上がります。
ゲートから出ることができなかった馬は、単勝オッズ7.0倍で3番人気に支持されていたラガーレグルスでした。
前年のラジオたんぱ杯3歳ステークスの勝ち馬でしたから、この皐月賞での勝利を期待していたファンは少なくなかったのです。
ラガーレグルス絡みの馬券は、スタート直後に紙くずとなってしまいました。
しかし、ラガーレグルスがゲートを出ることができず、スタート直後に競走中止となったことについて、レース直後から怒りの声を挙げる人たちが多発しました。
中山競馬場のスタンド2階にある整理本部には、スタート時の対応に疑問・不満を抱くファンが押しかけて、騒然とした雰囲気になりました。
ラガーレグルスは、2走前の共同通信杯でも大きな出遅れを経験していたこともあり、陣営のゲート難に対する対応や、カンパイ(発走のやり直し)などの対応を取らなかったJRAへの批判が殺到し、しばらくの間、議論となったのです。
この皐月賞でのアクシデントにより、ラガーレグルスはダービーの前にゲート再審査を東京競馬場で受けなければなりませんでした。
その再審査は開催日の昼休みに、ファンも来場している中、公開で行われるという異例のものになりました。
再審査はゲートの中で立ち上がってしまい、不合格に。
ダービーに出走することはできませんでした。
その後、札幌記念への出走を目指して行われていたゲート練習中に故障し、そのままファンの前に姿を現すことはありませんでした。
この年の皐月賞は、エアシャカールが勝ったことよりも、ラガーレグルスが競走中止となった件ばかりがその後も含めて印象に残り、多くのファンにとって後味の悪いレースとなってしまいました。
2-2:出遅れがなければ…~2004年優勝馬ダイワメジャー~
この年の皐月賞で1番人気に支持された馬は、栗東トレーニングセンターに所属する関西馬でも、美浦トレーニングセンターに所属する関東馬でもありませんでした。
単勝オッズ2.4倍で1番人気となったコスモバルクは、地方競馬の所属だったのです。
道営・ホッカイドウ競馬で所属したコスモバルクは、育成牧場にある坂路コースを活用してパワーアップされ、JRAに遠征して3連勝をマークします。
3連勝の中には、前年のラジオたんぱ杯2歳ステークスと、前走の皐月賞トライアル・弥生賞も含まれていました。
地方所属馬のまま、JRAで重賞2勝を挙げ、JRAの牡馬クラシック戦線に堂々と乗り込んできたのです。
日頃、JRAの馬券を買うファンだけではなく、地方競馬のファンをも巻き込むという、例年以上に注目度の高い皐月賞となりました。
ところがコスモバルクはスタート直後に出遅れ、逃げ・先行でのレースを続けてきたこれまでとは全く異なるレースを強いられました。
それでも最後の直線で鋭い伸びを見せます。
1番人気馬の貫禄を見せた末脚でした。
しかし、コスモバルクは1頭だけ先着を許し、2着に惜敗します。
あの出遅れさえなければ…、と誰もが思った瞬間でした。
その猛然と追い込むコスモバルクを振り切って勝利したのは、ミルコ・デムーロ騎手騎乗のダイワメジャーでした。
ミルコ・デムーロ騎手は前年の皐月賞もネオユニヴァースで勝っており、2年連続の勝利だったのです。
一方のダイワメジャーは、コスモバルクの出遅れにより恵まれて勝利した、と評価された時期もありましたが、2年後の2006年には天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップを優勝。
さらに2007年には安田記念にも勝ち、皐月賞の勝利がフロックではなかったことを証明しました。
当時、コスモバルクの馬券を勝っていた人や、地方競馬の関係者やファンから見ると、「コスモバルクが出遅れなければ…」という皐月賞でしたが、その後のダイワメジャーを見ると、この皐月賞優勝は当然のことでした。
3:皐月賞の傾向
それでは、皐月賞の馬券検討に役立つ、過去レースの分析について、お伝えしましょう。
近年の皐月賞は大きく傾向が変わりつつあるレースとなっています
3-1:トライアルレース組が苦戦
皐月賞の前哨戦で、上位入線馬に優先出走権が与えられるトライアルレースは、弥生賞ディープインパクト記念、スプリングステークス、若葉ステークスの3つがあります。
ところが、2010年以降の皐月賞優勝馬を見ると、前走でトライアルレースを使われていたのは、2010年のヴィクトワールピサ(弥生賞1着)、2011年のオルフェーヴル(スプリングステークス1着)、2013年のロゴタイプ(スプリングステークス1着)、エポカドーロ(スプリングステークス2着)の4例しかありません。
代わりに目につくのは、前走が共同通信杯だった馬で、2012年のゴールドシップ、2014年のイスラボニータ、2015年のドゥラメンテ、2016年のディーマジェスティ、2021年のエフフォーリアの5頭が該当します。
共同通信杯が行われるのは2月ですから、皐月賞との間隔は2ヶ月もあります。
しかも、共同通信杯は中山競馬場ではなく、東京競馬場で行われるレースです。
それでも、トライアルレース組よりも好成績を挙げている点は驚くべき点です。
さらに近年は、トライアルレース組の苦戦傾向がさらに強まることになる、ある現象が見られるようになったのです。
3-2:2歳王者の動向に注意
その現象は、2019年と2020年で見られました。
2019年の優勝馬サートゥルナーリアと、2020年の優勝馬コントレイルの前走は、いずれも前年のホープフルステークスでした。
2頭は共に、前年末のホープフルステークスでG1馬となった後、前哨戦を全く使わずに、ぶっつけ本番で挑んだ皐月賞を勝利したのです。
この2頭の勝利は、皐月賞へのステップにおけるトライアルレースの価値を低下させるものとなってしまいました。
皐月賞の馬券検討をする際は、王道のトライアルレース組ではなく、別路線組、そして2歳チャンピオンに注目すべきなのです。
まとめ
近年の皐月賞における傾向を見ていると、時代が大きく変わったことを意識せざるを得ません。
前哨戦についての考え方が、大きく変化してしまいました。
この変化こそが、競馬界の進化なのです。
この進化を無視して皐月賞の馬券を購入しても、好結果が得られる可能性は著しく低くなることが過去のレースから明らかになっていることを認識する必要があるのです。