ジャパンカップで日本競馬界では初めてのG1レースであり、賞金総額も含めて国内最高峰のレースでもあります。
その為、これまで数多くの名勝負が演じられてきました。
また、日本競馬界においてターニングポイントと呼ぶべき出来事も数多くありました。
今回はジャパンカップの歴史について、歴代の勝ち馬や優勝騎手を中心に振り返りたいと思います。
ジャパンカップというレースの変遷、そして日本競馬界の変化をお楽しみください。
1:ジャパンカップの歴代勝ち馬
まずは、歴代のジャパンカップ優勝馬について振り返りましょう。
4頭の優勝馬をご紹介します。
歴代勝ち馬①:トウカイテイオー
ジャパンカップは日本で初めての国際招待競走です。
そして日本で初めて国際G1の格付けを取得したレースでもあります。
ジャパンカップが国際G1競走となったのは、このトウカイテイオーが勝利した1992年のことでした。
国際G1となった最初の年ということもあり、いきなり海外のビッグネームが相次いで参戦する年となったのです。
海外競馬にそれほど詳しくない人でも、競馬雑誌の海外競馬コーナーなどに登場する馬たちが続々と来日し、日本の競馬ファンの前に現れたのですから、誰もが興奮を抑え切れない1日を迎えました。
1番人気ユーザーフレンドリー、2番人気ナチュラリズム、3番人気レッツィロープ、4番人気ディアドクターと、上位人気馬は多くの競馬ファンが初めて目にする外国馬たちでした。
しかし、こうした外国馬たちに続く5番人気に支持されていた日本のトウカイテイオーが大仕事を成し遂げます。
最後の直線で、上位人気に支持されていた外国馬の1頭、ナチュラリズムに並びかけたトウカイテイオーはその叩き合いをクビ差で先着し、国際G1のタイトルを獲得したのです。
滅多にガッツポーズなどをすることがない、鞍上の岡部幸雄騎手(当時)が見せたガッツポーズは、この勝利の意味を多くのファンに教えてくれるものとなりました。
ジャパンカップというレースにおいて、そして日本競馬界のターニングポイントにおいて、ダービー馬トウカイテイオーが勝利した意味は非常に大きなものであったことは言うまでもありません。
歴代勝ち馬②:シングスピール
1996年のジャパンカップは、ゴール前で日本馬と外国馬が激しく叩き合い、写真判定にもつれ込むという激戦となりました。
この激戦を演じたのは、ランフランコ・デットーリ騎手騎乗のシングスピールと、松永幹夫騎手(現調教師)騎乗のファビラスラフィンでした。
写真判定の結果、軍配はハナ差でシングスピールに上がります。
レース直後、敗れた松永幹夫騎手のコメントが後々まで名言として語り継がれています。
「誰だ?デットーリなんか呼んできた奴は?」
松永幹夫騎手にしてみれば、世界的な名手であるランフランコ・デットーリ騎手が相手じゃなかったら、勝っていたのは自分だった、と言いたかったに違いありません。
ジャパンカップは世界的な名馬だけではなく、名手たちが集う舞台でもあるのです。
歴代勝ち馬③:アルカセット
ランフランコ・デットーリ騎手は前述したシングスピールを含め、3頭の馬をジャパンカップ優勝に導いています。
東京競馬場の改修工事に伴い、中山競馬場の芝2,200m戦で争われた2002年のジャパンカップをファルブラヴで、そして2005年にはアルカセットで勝利しています。
アルカセットが勝った2005年は、最後の直線で鋭い決め手を発揮し、ハーツクライとの競り合いをハナ差で制したレースでした。
勝ちタイム2分22秒1は当時の世界レコードタイムで、その時計も多くのファンを驚かせる要因となりました。
しかしこのレース以降、ジャパンカップを優勝した外国馬は出現していません。
日本の馬場特有の速い時計での決着に対応できる外国馬がおらず、海外の多くの陣営がジャパンカップというレースを敬遠するようになり、海外の実績馬たちが来日しなくなったことがその理由と言われています。
しかし、最も直近でジャパンカップを勝ったアルカセットがレコード勝ちであった点は覚えておくべきでしょう。
当時は、日本の時計が速い馬場に対応できる馬が海外にも存在したのです。
レコードタイムでの決着となった2005年のジャパンカップも、今振り返ると、ジャパンカップのターニングポイントと言えるレースだったのです。
歴代勝ち馬④:スワーヴリチャード
前述したアルカセットの勝ちタイムは2分22秒1でした。
ところが2018年に勝ったアーモンドアイは、このアルカセットのタイムを大幅に短縮する2分20秒6を叩き出し、世界中の競馬関係者を驚愕させます。
その影響は、スワーヴリチャードが優勝した翌2019年のジャパンカップに現れました。
ジャパンカップ史上初めて、外国馬が1頭も参戦しない年になってしまったのです。
時計が速すぎる馬場が原因ではないか、と多くのメディア、競馬関係者、ファンの間で議論となりました。
しかし一方で、この頃からジャパンカップは、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と続く、秋シーズンの古馬における中・長距離G1戦線の一戦として位置付けられ、外国馬参戦の有無はそれほど大きな問題ではなくなりつつありました。
また、この2019年のジャパンカップは優勝騎手となったオイシン・マーフィー騎手の他、クリストフ・ルメール騎手、クリストフ・スミヨン騎手、ランフランコ・デットーリ騎手、ウィリアム・ビュイック騎手、ライアン・ムーア騎手、ミルコ・デムーロ騎手と、7名の外国人騎手が騎乗しており、外国馬は来なくても、外国人騎手の名前が数多くあることで、十分に「世界」を感じることができるレースとなっていました。
創設された当時は「世界に通用する馬作り」が大きなテーマだったジャパンカップですが、今は別の形で日本競馬界が国際的になったことを証明するレースとなりました。
スワーヴリチャードが勝った2019年のジャパンカップは、その象徴とも言えるレースだったのです。
2:ジャパンカップの歴代勝利騎手
次にジャパンカップの歴代勝利騎手の中から、2名の騎手をご紹介します。
歴代勝利騎手①:武豊
1999年にスペシャルウィークで、2006年にディープインパクトで、2010年にローズキングダムで、そして2016年にキタサンブラックでそれぞれジャパンカップを勝利しています。
ジャパンカップ4勝は現役最多となります。
さすが第一人者と言っていいでしょう。
しかし、初めてのジャパンカップ優勝がスペシャルウィークということで、あることを思い出す人も多いのではないでしょうか。
デビュー直後から数多くの勝ち星を積み重ね、G1勝利も数多くあった武豊騎手ですが、日本ダービーをなかなか勝てず、ようやくダービージョッキーの称号を手にしたのは1998年のことでした。
その時の騎乗馬がスペシャルウィークだったのです。
初めて勝ったダービーも、初めて勝ったジャパンカップも、騎乗馬がスペシャルウィークということは、武豊騎手はジャパンカップを最初に勝つのに、ダービー以上に年月を要していたことになります。
世界から名馬・名手が集まるジャパンカップというレースは、武豊騎手ほどの実力者でも、簡単に勝てるレースではないのです。
歴代勝利騎手②:マイケル・ロバーツ
1995年にドイツ調教馬ランドでジャパンカップを優勝しています。
現在は引退して調教師となっています。
ランドがジャパンカップを優勝した際、このマイケル・ロバーツ騎手の陣営への進言がジャパンカップ参戦のきっかけとなったことはよく知られています。
当時、短期免許で来日し、騎乗する機会が多かったマイケル・ロバーツ騎手は、その経験からランドが日本の馬場に合う馬たと見抜いたのです。
今は当時よりも数多くの外国人騎手が日本で騎乗しています。
こうして母国や、日本以外の国のレースを走っている馬たちの中から、日本の馬場に合いそうな馬を見つけ、陣営にジャパンカップ出走を進言してもらえないものか、とランドの話を知っている世代の競馬ファンの中には思っている人もいることでしょう。
3:ジャパンカップ歴代のレース傾向
レースが創設された当初とは異なり、馬券の面で外国馬に期待するのは難しくなりました。
一方で海外の名手が数多く騎乗するレースにもなっていることから、ジャパンカップは騎手にとっても騎乗して勝利したいレースとなっていることがわかります。
新型コロナウイルスの影響が小さくなり、日本競馬界に短期免許で参戦する外国人騎手が戻りつつあります。
2022年のジャパンカップはこうした外国人騎手たちの活躍に注目すべきレースとなるかもしれません。